- 行列浮世絵
ようしゅうちかのぶ さく「おんこあずまのはな きゅうしょうがつがんたんしょこうはつとうじょうのず」 楊洲周延 作「温故東の花 旧正月元旦諸侯初登城ノ図」 /ホームメイト

本行列浮世絵は、「楊洲周延」(ようしゅうちかのぶ)が1888年(明治21年)から1889年(明治22年)にかけて発表した「温故東の花」(おんこあずまのはな)の1枚です。温故東の花は、江戸幕府の儀式や行事を主なテーマとし、当時すでに遠い記憶になりつつあった江戸時代を振り返る浮世絵シリーズ。本作品は、江戸に滞在中の諸大名が将軍へ年頭の挨拶をするため、江戸城に登城した場面を描いています。
なお画題に「旧正月」とあるのは、1873年(明治6年)に新暦(太陽暦)に改まる前の旧暦による正月であるためです。
画面上部の遠景は江戸城の正門に当たる「大手門」(おおてもん)で、正月の三が日は年頭挨拶のために御三家をはじめ多くの大名家が登城し、混み合いました。お供の武士が袴の裾をたくし上げて臑(すね)を見せるのは、儀式用の長袴(ながばかま)をはいた際、屋外を歩くための工夫でしたが、寒さの厳しい冬では大変な苦労でもあったようです。
本行列浮世絵の作者である楊洲周延は、戦争絵や風俗画などを多く手掛け、明治時代の浮世絵界で広く活躍しました。一方で活動の後半期には「温故東の花」や「千代田之御表」(ちよだのおんおもて)といった、江戸時代を懐古する作品も多数制作しています。
■登城時の刀装
江戸時代、武士が公務で登城するとき腰に差した刀や脇差の拵は、江戸幕府の規制により、一定の様式が保たれました。その基本形は、鞘を黒漆塗として、柄は白鮫皮で包み黒の柄巻糸をかけた物で、裃差(かみしもざし)や番差(ばんざし)と呼ばれました。