- 行列浮世絵
うたがわとよくに さく「ごじょうらくとうかいどうおおいそ」 歌川豊国(三代) 作「御上洛東海道大磯」 /ホームメイト

「御上洛東海道」は、1863年(文久3年)に徳川14代将軍「徳川家茂」(とくがわいえもち)が約3,000人を率いて上洛した際の行列を描いた浮世絵シリーズ。幕末期に最も栄えた浮世絵師の派閥である歌川派の絵師16人が参加。本行列浮世絵は3代「歌川豊国」(うたがわとよくに:「歌川国貞」[うたがわくにさだ]とも)が手がけました。
東海道の名所を背景として、整然と歩む行列の手前に美人が配されるという構図は3代・歌川豊国ならではと言えます。この女性は、大磯(現在の神奈川県中郡大磯町)にゆかりのある「虎御前」(とらごぜん)に見立てているとの説が有力です。虎御前は、鎌倉時代の仇討ちで有名な曽我兄弟の兄「曽我十郎」(そがじゅうろう)と恋仲であり、浜千鳥をあしらった着物は曽我十郎の着物と同じ柄であることから、2人の間柄を示す表現となっています。
作者である江戸時代の浮世絵師3代・歌川豊国は、初代「歌川豊国」に学び、特に美人画や役者絵などで名を馳せました。
■「曽我物語」で曽我兄弟が手にした刀剣
曽我十郎と曽我五郎の仇討ちを描いた「曽我物語」では、兄弟が「箱根権現」(現在の箱根神社:神奈川県足柄下郡箱根町)より賜った名刀2振が登場します。兄の曽我十郎は「木曽義仲」(きそよしなか:「源義仲」のこと)が奉納した「微塵丸」を、弟の曽我五郎は兵庫鎖の太刀を授かりました。兵庫鎖の太刀は、一説には「源義経」が奉納した「薄緑」であるとも言われています。曽我兄弟はこれらの名刀を携えて父の仇討ちを果たしました。
