- 行列浮世絵
うたがわさだひで さく「すえひろごじゅうさんつぎちりゅう」 歌川貞秀 作「末広五十三次池鯉鮒」 /ホームメイト

本行列浮世絵は、「末広五十三次」(すえひろごじゅうさんつぎ)や「末広五十三駅図会」(すえひろごじゅうさんえきずえ)と呼ばれる揃物(そろいもの:シリーズ作)のひとつで、三河国の「池鯉鮒宿」(ちりゅうじゅく:現在の愛知県知立市)を描いた作品。
「末広五十三次」は、1865年(慶応元年)に江戸幕府14代将軍「徳川家茂」(とくがわいえもち)が「第二次長州征伐」の指揮を執るために大坂城へ向かう際、3,000人余りの武装行列を従えて上洛する様子を描いた作品群。
本絵図のなかに立ち並ぶのは松の木で、これは江戸幕府初代将軍「徳川家康」の命により植えられた「並木八丁」と呼ばれる松並木です。
絵図の中央付近に見える建造物は、池鯉鮒大明神(ちりゅうだいみょうじん:現在の知立神社)。池鯉鮒大明神は、江戸時代に「東海道三社」のひとつに数えられ、近隣の村民にとっての「産土神」(うぶすながみ:神道において、その人が生まれた土地の神)として、また蝮(まむし)除けや雨乞、安産の神として人びとから信仰を集めていました。
絵図に向かって右側、池鯉鮒大明神より少し手前に描かれている建造物は、臨済宗妙心寺派の寺院「八橋山無量寿寺」(やつはしさんむりょうじゅじ)。無量寿寺は、「三河新四国八十八ヶ所霊場」の4番目にあたる寺院です。ここには「八橋かきつばた園」と呼ばれる、かきつばた園が存在。八橋かきつばた園は、平安時代の歌人「在原業平」(ありわらのなりひら)が和歌に詠んだほど古くから有名な場所で、現在でも4月下旬から5月下旬にかけて「史跡八橋かきつばたまつり」が開催されています。
本行列浮世絵を制作したのは、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した「歌川貞秀」(うたがわさだひで)。「初代歌川国貞」の門人で、若い頃は合巻(ごうかん:草双紙[くさぞうし:江戸時代の小説におけるジャンルのひとつで、挿絵をメインにした小説]の一種)などの挿絵を多く手掛けていました。天保年間(1830~1844年)の後半頃からは、横浜絵(横浜を舞台に異国風俗を紹介した浮世絵)をはじめとした風景画を多数制作。
1867年(慶応3年)に開催されたパリ万博にも浮世絵が出品されており、歌川貞秀は「歌川芳宗」(歌川国芳の門人)とともに、同時代における浮世絵師の代表としてその名を世界に轟かせました。
