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にちろせんそうすごろく 日露戦争寿伍六 /ホームメイト

本戦争浮世絵は、1904年(明治37年)11月に描かれた、日露戦争(にちろせんそう)を題材とした双六(すごろく)。浮世絵と言うと、人物や風景を題材にした作品が多くありますが、じつは双六も人気でした。
双六は大別して、「振り出し」から駒を進めて「上がり」を目指す「絵双六」(えすごろく)と、マス目が入った盤に駒を置いて進める「盤双六」(ばんすごろく)の2種類があり、一般に知られているのが「絵双六」です。本戦争浮世絵も絵双六で、右下からスタートして時計回りに中央の「上がり」を目指します。
本戦争浮世絵のコマには、日露戦争で実際に行われた戦いが掲載されているのが特徴。コマに記載されている文字をよく見ると、「赤十字病院 1回休み」や「野戦病院 2回休み」など、「休み」(順番が回ってきてもサイコロを振れない)が指定されているものもあります。
なお、絵双六に描かれる絵は歌舞伎役者をはじめ、戦国武将や名所、江戸の四季の行事・風物を題材にした作品の他、妖怪を描いた物まで様々。現在は子ども達の遊戯として浸透していますが、古くは大人も楽しめる人気のボードゲームでした。
■日露戦争で使われた刀剣
日本は1876年(明治9年)に行われた「廃刀令」により、新たな刀剣を作ることを制限していましたが、日露戦争勃発当時は、それまでに作刀された刀剣を軍刀に転用することで賄っていたと言います。
なお、軍刀はすべての軍人が佩用(はいよう:腰から下げること)したわけではなく、将校や上級士官、騎兵・憲兵など、特定の兵科に就いた軍人のみが佩用していました。