はやかわしょうざん さく「かごしませいとういちらん」 早川松山 作「鹿児島征討一覧」 /ホームメイト

鹿児島征討一覧

戦争絵は、1877年(明治10年)に起こった「西南戦争」(西南の役)の戦いのひとつ「熊本城攻撃」を題材としています。

明治時代初期、旧武士階級であった士族(しぞく)は、俸禄(ほうろく)制度の廃止や、「廃刀令」の施行などにより身分的特権を失い、明治新政府に対して不満を募らせていました。こうした士族の不満は明治新政府に対する反乱へとつながり、なかでも「西郷隆盛」(さいごうたかもり)を盟主とする旧薩摩藩士らが起こした西南戦争は最大規模の戦いとなったのです。

西郷隆盛率いる軍勢は、新政府軍が拠点とする「熊本城」(熊本県熊本市)を攻撃目標に定めて進軍。しかし、西郷隆盛軍は兵数で勝っていたにもかかわらず熊本城の防御力の前に屈し退却することになりました。熊本城は戦国武将「加藤清正」(かとうきよまさ)が築いた名城であったことから、西郷隆盛は引き際に、「新政府軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」と言い残したと伝えられています。

作者の「早川松山」(はやかわしょうざん)は、浮世絵師で日本画家の「河鍋暁斎」(かわなべきょうさい)に師事し、明治時代に活躍。西南戦争を描いた作品で知られ、この他、「横浜絵」や雑誌の挿絵なども手がけています。

■軍服姿の西郷隆盛像が手にする「信国」
西南戦争で中心的役割を担った西郷隆盛は刀剣の蒐集家(しゅうしゅうか)でもありました。その中で、西南戦争のときに携えていたのは、山城国(現在の京都府南部)の刀工「信国」(のぶくに)が鍛えた刀であったと言われています。西郷隆盛が自刃した城山(鹿児島県鹿児島市城山町)に建つ西郷隆盛像が手にする刀は、この信国がモデルとなりました。

鹿児島征討一覧の浮世絵

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浮世絵の詳細情報

浮世絵師 早川松山 浮世絵の題材 西南戦争
代表的な
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

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