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はせがわさだのぶ さく「とくがわちせきねんかんきじ じゅうごだいとくがわよしのぶこう」 長谷川貞信 作「徳川治績年間紀事 十五代徳川慶喜公」 /ホームメイト

本合戦浮世絵の画題となっているのは、1868年(慶応4年/明治元年)に江戸幕府15代将軍「徳川慶喜」(とくがわよしのぶ)率いる旧幕府軍と、新政府軍が衝突した「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)の初戦「鳥羽・伏見の戦い」(とば・ふしみのたたかい)における一場面。
本合戦浮世絵中央の船には、徳川一門のみが使用することを許されていた「三つ葉葵」と見られる紋章の旗印が掲げられていることから、船上で立ち上がり、その背後に小さく見える船を睨み付けるような眼差しで見つめている武将が、徳川慶喜であると考えられます。
本合戦浮世絵で描かれているのは、同合戦において「大坂城」で旧幕府軍の指揮を執っていた徳川慶喜が船に乗り込み、江戸へ逃亡しようとしているところです。後方の船にある旗印は、赤地に金色の日の意匠が配された「錦の御旗」(にしきのみはた)と思われる物。錦の御旗は、朝廷から正式に官軍であることを認められた証しであり、史実によれば開戦の翌日に、新政府軍の陣営に掲げられていたことを旧幕府軍が発見。
徳川慶喜が生まれた「水戸徳川家」には、「朝廷に対して弓を引いてはならない」という家訓が伝わっており、この錦の御旗によって、旧幕府軍が朝敵(ちょうてき:朝廷に逆らう敵)と見なされたことを知った徳川慶喜は、一気に戦意を喪失。本格的に戦う前に、「敵前逃亡」してしまったのです。
本合戦浮世絵を制作した「長谷川貞信」(はせがわさだのぶ)は、上方(かみがた:京都や大坂、及びその近辺の総称)を中心に活躍。本合戦浮世絵のような「武者絵」はもちろん、多岐に亘るジャンルの浮世絵を描いており、中でも「風景画」の名手として知られています。
