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ほうおうじょうこうげきのず 鳳凰城攻撃之図 /ホームメイト

本浮世絵は、日清戦争を題材にした戦争浮世絵のひとつ。鳳凰城(ほうおうじょう)は、現在の中国遼寧省丹東市に位置する鳳城市にあった城。丹東市は、鴨緑江(おうりょくこう)を挟み朝鮮半島の対岸に位置する国境の町です。
1894年(明治27年)7月25日、日本と清の軍隊が武力衝突を起こして、日清戦争が始まります。戦争前は国力の差から圧倒的に清が有利とみられていましたが、実際に開戦すると日本が終始優位に立ちました。
9月15日の平壌の戦いと、その2日後の黄海海戦で勝利した日本軍は清の領内へ進撃。山縣有朋(やまがたありとも)率いる第一軍は鴨緑江を渡り、10月26日に最初の清の拠点である九連城(きゅうれんじょう)を陥落させると、3日後にはその北西にあった鳳凰城への攻撃も行います。しかし、清軍は不利な戦況を見てすでに撤退を始めており、日本軍は本格的な戦闘に至ることなく鳳凰城占領に成功しました。
なお、清軍は撤退時に城の建物に火を放ったとされます。画面手前の日清両軍の兵士が色彩豊かに描かれ、煙幕の中に日本軍の銃剣が立ち並んで輝くのに対し、奥の鳳凰城は赤と黒の2色で炎上する様が表現され、鑑賞者の心をつかもうとする作者の工夫がうかがえます。
■コラム 銃剣の影響
銃の有効者的距離が短く、弾丸の込め方も前装式(ぜんそうしき:銃口から弾薬を込める形式で発射までの時間が長い)が主流の時代、銃兵は敵の突撃に弱く、長い槍で戦う槍兵との協力が不可欠でした。銃に槍の性質を持たせる銃剣がヨーロッパで普及すると、銃兵は弱点を克服し、槍兵も装備を槍から銃と銃剣に転換。結果、軍隊全体の火力が増加しました。