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つきおかこうぎょ さく「ほうてんふじょうがい わがしょうこうゆうりょくのず」 月岡耕漁 作「奉天府城外 我将校勇力之図」 /ホームメイト

本戦争浮世絵に描かれているのは、日清戦争(にっしんせんそう)。朝鮮の支配権をめぐる日本と清国(中国)との戦争です。
明治27年(1894年)1月、朝鮮では東学党(とうがくとう:新興宗教のひとつ)率いる民衆が朝鮮政府に対して蜂起し、反乱は全土に拡大しました。自力で鎮圧できない朝鮮は清国に援軍を頼み、これに対して日本は天津条約に基づき、日本人居留民(きょりゅうみん)保護を理由に出兵します。しばらく交渉が続きますが、8月1日、ついに日本は清国へ宣戦布告。
本戦争浮世絵では、その戦地のひとつ、遼東半島(リャオトンはんとう)・奉天府(ほうてんふ)の郊外で、将校がサーベルを武器に戦う様子が描かれています。
明治28年(1895年)4月17日、下関条約(しものせきじょうやく:日清講和条約)が結ばれ、遼東半島、台湾、澎湖諸島(ほうこしょとう)は日本に割譲されますが、同年、ロシア・ドイツ・フランスは日本に対し遼東半島の返還を求める三国干渉を起こし、日本は返還に応じました。
本戦争浮世絵の作者は、明治時代から大正時代にかけて活躍した月岡耕漁(つきおかこうぎょ)。東京日本橋で生まれ、はじめは陶器の絵付けを、のちに日本画を学びます。
母親の坂巻泰が月岡芳年(つきおかよしとし)と再婚したので、義父の門弟となり「年久」と号します。明治22年(1889年)頃には尾形月耕(おがたげっこう)の門下に入り「耕漁」を号し、さらに松本楓湖(まつもとふうこ)に学び「湖畔」と号しました。能楽絵を得意としています。