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うたがわよしとら さく「のぶながこうえんりゃくじやきうちのず」 歌川芳虎 作「信長公延暦寺焼討ノ図」 /ホームメイト

本戦争絵は、画題に「信長公延暦寺焼討ノ図」とありますが、実際には「上野戦争」を描いた作品と伝えられています。上野戦争は「戊辰戦争」の戦闘のひとつで、1868年(慶応4年)5月15日に江戸上野(現在の東京都台東区)において、旧幕臣からなる彰義隊(しょうぎたい)と、薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍が激突した戦いです。
左手側奥の建物は、上野の山に位置する徳川宗家の菩提寺「寛永寺」(東京都台東区上野)であるとされ、ここに立てこもる彰義隊に対して、洋装が目を引く右手側の新政府軍が激しい攻撃を仕掛けています。彰義隊の主力武器が刀剣や槍であった一方、新政府軍は新式のスナイドル銃やアームストロング砲を使用。彰義隊は壊滅し、上野戦争は1日で決着しました。
当時は、同じ時代のできごとを浮世絵に表すことが認められていなかったため、本戦争絵は、1571年(元亀2年)に起こった「織田信長」による「比叡山延暦寺焼き討ち」になぞらえて描かれました。
本戦争絵の作者は、江戸時代末期から明治時代中期にかけて活躍した「歌川芳虎」(うたがわよしとら)です。「徳川家康」の天下取りを揶揄する風刺画を発表し、「手鎖50日」という処罰を受けるものの風刺精神が失われることはなく、本戦争絵のように禁止されている画題を別のものになぞらえるなどの工夫を凝らして、自由な創作活動に挑戦しました。