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うたがわくにまさ さく「へいじょうかんらくのず」 歌川国政(五代) 作「平壌陥落之図」 /ホームメイト

本浮世絵は、日清戦争を題材にした戦争浮世絵のひとつ。朝鮮の平壌(へいじょう)で日本軍と清軍が激突した「平壌の戦い」を描き、この戦闘で活躍した両軍4名の軍人の名が記されます。日清戦争の背景には、朝鮮での権益をめぐる日本と清国の対立がありました。
1894年(明治27年)に朝鮮で東学党が農民を指導して反乱(甲午農民戦争)を起こすと、朝鮮政府から鎮圧を依頼された清政府は軍隊を派遣。同時に、かねて清と結んでいた条約に基づき日本も朝鮮へ派兵。反乱収束後も両国は軍隊の駐屯を継続し、7月25日に日清戦争が始まりました。
平壌の戦いは開戦間もない1894年(明治27年)9月15日に行われ、約10,000の日本軍が平壌城を守る約13,000の清軍を攻撃する形で展開。
本浮世絵に名前が載る日本軍人は、右から大島義昌(おおしまよしまさ)少将、佐藤正(さとうただし)大佐、一戸兵衛(いちのへひょうえ)少佐。清側で名前が挙がる左宝貴(さほうき)は、清軍の奉天軍司令官として自らも奮戦しましたが戦死。清の軍人としては、北洋艦隊を率いた丁汝昌(ていじょしょう)と並んで日本でもよく知られました。
本浮世絵を制作した5代「歌川国政」(うたがわくにまさ)は、同名の4代「歌川国政」の長男で、父について修業したのち1904年(明治37年)頃に「四条派」(しじょうは)の画家「飯島光峨」(いいじまこうが)へ弟子入りし、「竹内柳蛙」(たけうちりゅうや)と号しています。
■コラム 浮世絵に描かれている刀剣
本浮世絵に見られるように、日清戦争当時の日本軍の軍刀は、西洋のサーベルにならい片手握りが前提の拵。しかしこれに慣れない者も多く、 両手握りができるように柄を長く伸ばした例がしばしば存在します。1934年(昭和9年)に将校用軍刀の規定が変わり、太刀型の軍刀が登場しました。