うたがわくにまさ さく「しんこくこうわしらいちょうだんぱんのず」 歌川国政(五代) 作「清国講和使来朝談判之図」 /ホームメイト

清国講和使来朝談判之図

浮世絵が描くのは、1895年(明治28年)に山口県下関で行われた日清戦争の講和会議の様子。この会議で日本と清の間に下関条約が結ばれ、日清戦争が終結しました。

日清戦争は、朝鮮での権益をめぐる日本と清の対立を主な原因として、1894年(明治27年)に勃発。朝鮮半島や満州が主な戦場となりました。

戦いは日本の優位に終始し、1895年(明治28年)3月19日に清の代表団が来日。日本側は伊藤博文(いとうひろぶみ)総理大臣と陸奥宗光(むつむねみつ)外務大臣が全権代表として出迎え、講和会議は山口県下関の旅館「春帆楼」(しゅんぱんろう)で開かれました。

本浮世絵中の日本代表はテーブルを挟み左側に座り、大礼服姿の2名が全権代表の伊藤博文と陸奥宗光。テーブル右側が清代表で、薄緑色の服を着た人物が全権代表の李鴻章(りこうしょう)です。

下関条約の主な内容は、清は朝鮮の独立を認め、日本へ2億両の賠償金を支払い、また、台湾と澎湖諸島、遼東半島を日本へ割譲することなどが定められました。ただし、遼東半島の割譲についてはロシアとフランス、ドイツによる日本への「三国干渉」(さんごくかんしょう)により撤回されます。

本浮世絵の作者5代「歌川国政」(うたがわくにまさ)は、4代「歌川国政」の長男。「小国政」の落款をよく用い、明治時代当時の事件や戦争を題材にした作品が多く残ります。

■コラム 日清戦争時の明治天皇
日清戦争時、明治天皇は大本営とともに広島へ移り、「大元帥」として軍の指揮を執る間も刀剣趣味も欠かしませんでした。また、甲冑も愛好され、厳島神社所蔵の浅葱綾威大鎧(国宝)をお気に召し、居室に置いていました。

清国講和使来朝談判之図の浮世絵

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浮世絵の詳細情報

浮世絵師 歌川国政(五代) 浮世絵の題材 日清戦争
代表的な
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

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