- 合戦浮世絵
- 合戦絵とは
うたがわよしふじ さく「げんこうねんちゅうくすのきまさしげほうじょうがはちじゅうまんのたいぐんをふせがんとちはやのしろへたてこもりひょうろううんそうのず」 歌川芳藤 作「元弘年中楠正成北条が八十万の大軍を防んと千破の城へ楯こもり兵糧運送の図」 /ホームメイト

本合戦浮世絵は、1333年(元弘3年)に河内(現在の大阪府南部)の武将・「楠木正成」(くすのきまさしげ)が鎌倉幕府の大軍を相手に、少ない手勢で長期の籠城に持ちこたえた「千早城の戦い」直前を描いた3枚続の錦絵。楠木正成の軍が、籠城のために千早城へ兵糧を運び入れる場面を題材にし、合戦が始まる前の緊張感が漂う雰囲気が感じられます。
同じく歌川芳藤作「楠正成金剛山千破窟の城を築く図」も、千早城の戦いに備える楠木正成の軍が主題ですが、そちらは夜中の築城工事が扱われ、日中の兵糧運搬を描く本合戦浮世絵と対照的な関係にあります。
画中の名前が付された人物のうち、和田和泉守正遠(わだいずみのかみまさとお)、恩地左近太郎満一(おんちさこんたろうみつかず)、志貴右衛門朝氏(しきうえもんともうじ)、神宮寺太郎兵衛正師(じんぐうじたろうべえまさもろ)、宇佐美河内守正安(うさみかわちのかみまさやす)は、楠木正成の家臣として特に活躍した「楠公八臣」(なんこうはちしん)。
作者の歌川芳藤は、烏帽子(えぼし)と直垂(ひたたれ)を着用させることでこの5人が特に目立つようにしています。
なお、実際の千早城は険しい山中に築かれた堅固な山城。本合戦浮世絵では水堀と石垣を備えた近世城郭の姿で描かれ、これは江戸時代当時の人々が見慣れた城のイメージが強く反映されたものと言えます。