- 合戦浮世絵
- 合戦絵とは
つきおかよしとし さく「わかんけものだいかっせんのず」 月岡芳年 作「和漢獣大合戦之図」 /ホームメイト

本合戦浮世絵は、日本と異国の動物達が甲冑(鎧兜)に身を包み、激しい戦いを繰り広げているユニークな作品です。
日本勢として、猿、犬、狸(たぬき)、鼠(ねずみ)などが刀剣や槍を振るい、大将である黒い熊(くま)が左手側奥でどっしりと構えています。
対する異国勢は豹(ひょう)、虎(とら)、山羊(やぎ)などが同じく刀剣、槍を持ち、大将の白い象は右手側奥に布陣。動物達は人間の武将と変わらない様子を見せているのが特徴的です。
本合戦浮世絵が制作された1860年(安政7年/万延元年)は、「桜田門外の変」が起きるなど、攘夷論(じょういろん:外国勢力の排斥を主張する思想)が高まった時期でした。桜田門外の変とは、幕府の最高職である大老の「井伊直弼」(いいなおすけ)が、攘夷派の浪士達により暗殺された事件です。この事件は、井伊直弼が勅許(ちょっきょ:天子の許可)なしに「日米修好通商条約」に調印したことが原因のひとつとされています。
本合戦浮世絵の作者は、幕末から明治時代中期にかけて活躍した「月岡芳年」(つきおかよしとし)。合戦絵をはじめ、歴史絵、美人画、役者絵など、様々な分野において独特な発想力を発揮した月岡芳年は、本合戦浮世絵にて日本勢と異国勢を動物になぞらえ、攘夷の気運を表現したと考えられています。
■幕末に流行した「勤王刀」
平和な江戸時代には、実用性よりも武士の象徴としての意味合いが重視された刀剣ですが、幕末の動乱期には再び武器として返り咲きました。そのとき、攘夷派の志士達が用いたのが「勤王刀」(きんのうとう)と呼ばれる長さ3尺(約90.9cm)前後で、反りの浅い打刀(うちがたな)です。重ねが厚く、重量感があり、大鋒/大切先(おおきっさき)で、斬るだけでなく突き刺すことにも適した、実戦向けの体配となっていました。