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みずのとしかた さく「くすのきまさつらべんのないしをすくうのず」 水野年方 作「楠正行弁の内侍を救ふ図」 /ホームメイト

本武将浮世絵は、「楠木正行」(くすのきまさつら:[楠木正成:くすのきまさしげ]の長男)が、「弁の内侍」(べんのないし)を「高師直」(こうのもろなお)から救った逸話を題材としています。
弁の内侍は「後醍醐天皇」(ごだいごてんのう)の側近「日野俊基」(ひのとしもと)の娘で、後醍醐天皇の女官を務めました。そして高師直は「足利尊氏」(あしかがたかうじ)の家臣です。
当時は後醍醐天皇が吉野(現在の奈良県南部)で南朝を立て、足利尊氏の開いた室町幕府が京都の北朝を支え、南北の朝廷が対立した時代。そのため楠木正行と高師直は敵対関係にありました。
高師直は、絶世の美女と伝わる弁の内侍を見初め、拉致しようと画策します。策を講じて弁の内侍を誘い出した高師直でしたが、偶然、通りがかった楠木正行によって高師直は撃退。弁の内侍は楠木正行に救い出され、事なきを得たのが、本武将浮世絵の場面となります。事件をきっかけに楠木正行と弁の内侍は恋に落ちるものの、楠木正行はのちの「四條畷の戦い」(しじょうなわてのたたかい)で落命。敵方の総大将は高師直でした。
作者の「水野年方」(みずのとしかた)は、「月岡芳年」(つきおかよしとし)に師事した浮世絵師です。月岡芳年の門人として武者絵や美人画などの浮世絵を描く一方で、「横山大観」(よこやまたいかん)や「菱田春草」(ひしだしゅんそう)らと共に新たな日本画創作を試みました。
■佐々木道誉の愛刀「道誉一文字」
高師直と同様に足利尊氏の家臣で、四條畷の戦いにも出陣していた「佐々木道誉」(ささきどうよ)は、太刀「道誉一文字」(どうよいちもんじ)を佩用していた武将です。大丁子乱れ(おおちょうじみだれ)に重花丁子(じゅうかちょうじ)などを交えた華やかな刃文をしており、その絢爛な出来栄えは福岡一文字派の典型とも言われています。