- 合戦浮世絵
- 合戦絵とは
つきおかよしとし さく「みかわごふどきのうち だいじゅじごなんせんのず」 月岡芳年 作「三河後風土記之内 大樹寺御難戦之図」 /ホームメイト

本合戦浮世絵は、「桶狭間の戦い」で「今川義元」(いまがわよしもと)が討ち死にしたあと、「大樹寺」(だいじゅじ)に避難していた「松平元康」(のちの徳川家康[とくがわいえやす])が、寺を包囲した織田軍に対して反撃に打って出た場面を描いている作品だと言われています。
当時、人質として駿府(すんぷ:現在の静岡県)で過ごしていた松平元康は、今川義元軍に従軍。「織田信長」(おだのぶなが)とは敵対関係にありました。織田の大軍勢に対して松平元康軍の手勢はわずか。そのような状況にあって、大樹寺の僧侶たちの協力を得た松平元康軍は、決死の戦いで包囲網を打ち破ったのです。その後、岡崎を奪還した松平元康は、天下人への礎を築きました。本図右側には、白地に黒で「求浄土」と染め抜かれた流れ旗を観ることができます。これは徳川家康の座右の銘「厭離穢土、欣求浄土」(おんりえど、ごんぐじょうど)の一部。その意味は、「生きにくいこの乱世を浄土にすることこそが、進んで求められていること」です。
大樹寺の13代住職「登誉上人」(とうよしょうにん)からこの言葉を授けられた徳川家康は、この思いを胸に抱いて江戸幕府を開き、天下泰平の世の中を実現。大樹寺には、徳川家康の位牌が安置されています。
本合戦浮世絵の作者「月岡芳年」(つきおかよしとし)は、幕末から明治時代にかけて活動していた浮世絵師。同時代に活躍した「落合芳幾」(おちあいよしいく)と共に、当代を代表する浮世絵師として人気を博しました。