- 合戦浮世絵
- 刀剣浮世絵
- 合戦絵とは
つきおかよしとし さく「えいゆうごぎょうのうち ど あまがさきかっせん
あかしぎだゆうきょうとにはしる」
月岡芳年 作「英雄五行之内 土 尼ヶ崎合戦
明石儀太夫京都にはしる」 /ホームメイト

本合戦浮世絵は、戦国武将「明石儀太夫」(あかしぎだゆう)が「豊臣秀吉」の家臣達から追われる場面を描いた絵図。
向かって左側から右手に刀を携えた明石儀太夫、刀を構えあるいは振り上げて追う「福島正則」、「後藤又兵衛」、「脇坂泰治」、「母里太兵衛」で、槍を構えて橋を駆けて来るのは「糟屋武則」。明石儀太夫は、江戸時代中期に書かれた絵本「絵本太閤記」に登場する武将です。
明石儀太夫は、「明智光秀」の家臣で「本能寺の変」のあとに、明智光秀に命じられて豊臣秀吉を暗殺しようとします。明智光秀の家臣「四王天政孝」(しおうてんまさたか)と共に、百姓の姿に扮して豊臣秀吉を待ち伏せしていましたが、奇襲は失敗。四王天政孝は、豊臣秀吉の家臣「加藤清正」によって討ち取られて、明石儀太夫はそのことを明智光秀に伝えるために退却。奇襲が失敗して、四王天政孝も討ち取られたことを明智光秀に伝えた明石儀太夫はその晩、使命を果たせなかったことを苦に切腹しました。
本合戦浮世絵の作者は、「歌川国芳」(うたがわくによし)の門人「月岡芳年」(つきおかよしとし)。歌川国芳門人の中でも描画の技量が高く、特に「血みどろ絵」と言われる血に染まった合戦絵などに定評があり、現実に即した描写ができるように、殺傷や斬殺された死体を熱心に研究していたと言われています。