- 合戦浮世絵
- 合戦絵とは
つきおかよしとし さく「びだんむしゃはっけい こうとくじのばんしょう」 月岡芳年 作「美談武者八景 廣徳寺の晩鐘」 /ホームメイト

「羽柴秀吉」(豊臣秀吉)は、「本能寺の変」により「織田信長」が「明智光秀」に討たれたことを知ると、のちに「中国大返し」と呼ばれる強行軍で兵を京へ向けて返しました。 本武将浮世絵(武者絵)は、その途中で起こった逸話について描いています。
駿馬(しゅんめ:足の速い優れた馬)に乗った羽柴秀吉は、自軍を引き離しすぎて単騎となり、武庫川(現在の兵庫県南東部を流れる河川)付近で明智光秀の家臣「四王天但馬守」(しおうてん/しほうてんたじまのかみ)の待ち伏せに遭ってしまいました。
これをかろうじて凌ぎ、近くの寺へ逃げ込んだ羽柴秀吉は、まず浴室の剃刀(かみそり)で髪を剃り、脱衣場に置かれた衣を身に付け僧侶のふりをします。
そして、台所で食事の支度をしていた僧侶達にまぎれ込んだとき、四王天但馬守がやってきますが、僧侶に化けた羽柴秀吉は見つかりませんでした。やがて駆け付けた「加藤清正」が四王天但馬守を討ち取り、羽柴秀吉は危機を脱したのです。
「月岡芳年」(つきおかよしとし)が、1868年(明治元年)に制作した本武将浮世絵(武者絵)には、若干のスレや小破れがありますが、おおむね制作当時の状態が保たれ、その美しい色合いを後世に伝えています。