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みぎたとしひで さく「きのしたとうきちろう いちまつのかいりきにおどろくず」 右田年英 作「木下藤吉郎 市松の怪力に驚く図」 /ホームメイト

本浮世絵に描かれている2人は、左が木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)ことのちの豊臣秀吉(とよとみひでよし)と、右が「市松」ことのちの福島正則(ふくしままさのり)。
この絵は「太閤記」(たいこうき:太閤・豊臣秀吉の伝記)のエピソードを描いたもので、当時足軽だった木下藤吉郎が2歳の市松が石臼を引いて遊んでいる姿を見て、その怪力に驚いている場面です。これを機に豊臣秀吉は、福島正則に目をかけ、家来にしたという設定になっています。
豊臣秀吉の叔母「松雲院」(しょううんいん)の子である福島正則は、幼少の頃から豊臣秀吉に仕えました。
1583年(天正11年)の賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)では、「賤ヶ岳の七本槍」(しずがたけのしちほんやり)の筆頭となり武勲を立てるのです。
本武将浮世絵の作者は、右田年英(みぎたとしひで)。明治時代から大正時代にかけて活躍した浮世絵師です。月岡芳年(つきおかよしとし)の高名な弟子で、水野年方(みずのとしかた)・稲野年恒(いねのとしつね)・山崎年信(やまざきとしのぶ)とともに「芳年四天王」と呼ばれました。「戦争画」、「美人画」などの錦絵の他、「東京朝日新聞」の挿絵も描いています。