- 合戦浮世絵
- 合戦絵とは
つきおかよしとし さく「ましばだいりょうさんかんたいじ」 月岡芳年 作「真柴大領三韓退治」 /ホームメイト

本合戦浮世絵は、1592年(天正20年)からはじまり、3度に亘って繰り広げられた「文禄の役・慶長の役」を描いた絵図。
中央にいるのは、安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した武将「斎藤利宗」(さいとうとしむね)。斎藤利宗は、「明智光秀」に仕えていた戦国武将「斎藤利三」(さいとうとしみつ)の3男で、江戸幕府3代将軍「徳川家光」の乳母として知られる「春日局」(かすがのつぼね)の兄にあたる人物です。
はじめは父・斎藤利三と共に、明智光秀に仕えていましたが、1582年(天正10年)明智光秀が「織田信長」を裏切り「本能寺の変」を起こしたことで事態は一変。「山崎の戦い」で「羽柴秀吉」(豊臣秀吉)に敗れた斎藤利宗は、剃髪して僧侶となり降伏しました。その後、豊臣秀吉から罪を許されたことで「加藤清正」に臣従し、のちに肥後国(現在の熊本県)5,000石の知行を賜ります。
本浮世絵の作者は、幕末時代から明治時代前期にかけて活動した「月岡芳年」。月岡芳年は、「歌川国芳」の門人で歴史絵、美人画、役者絵など、様々な分野の浮世絵を手掛けた浮世絵師です。