- 合戦浮世絵
- 合戦絵とは
おちあいよしいく さく「げんぺいせいすいき ながとのくにあかまのうらにおいて
げんぺいだいかっせんへいけほろびるのず」
落合芳幾 作「源平盛衰記 長門国赤間の浦に於て
源平大合戦平家亡びるの図」 /ホームメイト

本合戦浮世絵の舞台となっているのは、平安時代末期、約6年に亘って、「平家」と「源氏」が覇権争いを繰り広げた「源平合戦」の最終決戦である「壇ノ浦の戦い」。
長門国赤間関壇ノ浦(現在の山口県下関市)で行なわれた同合戦では、源氏側の戦力が船830艘、対する平家側は500艘であったと伝えられており、最終的には平家が敗北を喫し、滅亡することとなりました。
本合戦浮世絵には、壇ノ浦の戦いに参陣した40名を超える武将達の名前が記載され、それぞれが非常に細かく描写されています。中央部に見られるのは、平家軍の最強の武将「平教経」(たいらののりつね)から逃れようと、「源義経」が隣の船に飛び移る様子。同合戦で源義経は、次から次へと船に飛び移って戦ったと言われており、その身軽さから、通称「八艘飛び」(はっそうとび)と言われています。
本合戦浮世絵を制作したのは、幕末から明治時代にかけて、浮世絵師として活躍した「落合芳幾」(おちあいよしいく)。1849年(嘉永2年)に、江戸時代末期の代表的な浮世絵師「歌川国芳」(うたがわくによし)に入門し、武者絵のみならず、歴史絵や美人画など、多岐に亘るジャンルを手掛けました。先に、師である歌川国芳によって同じ画題が描かれていることから、本合戦浮世絵は、落合芳幾がそれを見本として描いたと推測されています。