- 合戦浮世絵
- 合戦絵とは
つきおかよしとし さく「とくがわちせきねんかんきじ
じゅうよんだいしょうとくいんでんいえもちこう」
月岡芳年 作「徳川治績年間紀事
十四代昭徳院殿 家茂公」 /ホームメイト

本合戦浮世絵は、1876年(明治9年)に「月岡芳年」(つきおかよしとし)が手掛けた作品で、徳川政権時代における歴史的な行事を描いたシリーズの1作です。3枚続で、表情や動きが異なる無数の武士達が躍動感いっぱいに表現されています。
本合戦浮世絵の詞書(ことばがき:浮世絵の画中に添えられた説明)によると、徳川幕府14代将軍「徳川家茂」(とくがわいえもち)は、「第二次長州征伐」(だいにじちょうしゅうせいばつ)で幕府軍の指揮を執るため、1865年(慶応元年)5月16日に「江戸城」(東京都千代田区)を発ち、「大坂城」(大阪府大阪市)に上洛。大坂城では、徳川家茂を前に、幕府軍の武士達による合戦さながらの武芸の演習が実施されました。
作者の月岡芳年は、「最後の浮世絵師」と称され、浮世絵の終末期に活躍した絵師です。「残酷絵」、「血みどろ絵」などと言われる、生々しい血を描いた作品で知られていますが、美人画や武者絵など、様々なジャンルでも佳作を遺し、当時絶大な人気を誇りました。精神的な疾患を抱えながらも亡くなる直前まで絵筆を握り続け、生涯で10,000点にもおよぶ作品を描いたと言われています。