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なかざわとしあき さく「にほんれきしきょうくんが ろく おおいしよしたか/よしお」 中澤年章 作「日本歴史教訓画 六 大石良雄」 /ホームメイト

1701年(元禄14年)、「江戸城」本丸大廊下(通称:松の廊下)にて小刀を振るい、刃傷事件を起こした播磨国赤穂藩(現在の兵庫県赤穂市)の藩主「浅野長矩」(あさのながのり:呼称は[浅野内匠頭])は、切腹を命じられ、赤穂浅野家は取り潰しとなってしまいます。
赤穂藩の筆頭家老であった「大石良雄」(おおいしよしたか/よしお)こと「大石内蔵助」(おおいしくらのすけ)は、浅野長矩の弟「浅野長広」(あさのながひろ:通称[浅野大学])を立ててお家再興を図りますが、幕府が聞き入れることはありませんでした。浅野長広には広島藩お預かりが言い渡されます。
本武将浮世絵は、「日本歴史教訓画」シリーズの1作で、お家再興の望みを絶たれた大石内蔵助が、主君の仇討ちを決意する場面を描写。江戸幕府へ赤穂城(兵庫県赤穂市)の明け渡しを終え、無念な表情を浮かべて城を去る大石良雄の右手には短刀が握られます。
これは赤穂事件を題材にした歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」四段目の「城明け渡し」にて、「大星由良之助」(おおぼしゆらのすけ)が主君「塩冶判官」(えんやはんがん)が切腹に用いた短刀を取り出して仇討ちを誓うくだりを、本来の人物で絵画化したものです。
作者は、明治時代に活躍した浮世絵師「中澤年章」(なかざわとしあき)。「月岡芳年」(つきおかよしとし)の門人であり、「武者絵」や「戦争絵」などを得意としました。後年は山梨県内に在住し、多くの傑作肉筆画を残しています。