- 武将浮世絵
- 武者絵とは
つきおかよしとし さく「むらさきのだいとくじしょうこうのず」 月岡芳年 作「紫野大徳寺焼香之図」 /ホームメイト

本武将浮世絵は、「羽柴(豊臣)秀吉」(はしば[とよとみ]ひでよし)の一生を記した「絵本太閤記」(えほんたいこうき)より、「織田信長」(おだのぶなが)の葬儀における一騒動を描いた作品。「織田木瓜紋」(おだもっこうもん)の幕を背景にして織田信長の遺臣達が争う、臨場感あふれる構図です。
1582年(天正10年)10月、京都の大徳寺で織田信長の葬儀が営まれますが、焼香の順番をめぐる議論が起き、織田信長の次男「織田信雄」(おだのぶかつ)と三男「織田信孝」(おだのぶたか)が同時に行うことに決定。柴田勝家が2人を焼香の席へ案内しようとすると、「三法師(織田秀信)」(さんぼうし[おだひでのぶ])を抱えた羽柴秀吉が現れ、「清洲会議」で織田家の後継者に決まった三法師が最初に焼香すべきとして、柴田勝家達をなじります。柴田勝家は羽柴秀吉の言動に怒りますが、羽柴秀吉の伏兵が大徳寺を囲んでいたため対抗できず、最初の焼香は三法師の代理として羽柴秀吉が務めたのです。
本武将浮世絵の作者「月岡芳年」(つきおかよしとし)は、幕末から明治時代にかけて多くの浮世絵作品を発表し、「最後の浮世絵師」と呼ばれた名人の1人。落ち着き払った羽柴秀吉と激怒する柴田勝家達のすぐれた対比から、技量の高さがうかがえます。
■コラム 飾太刀と細太刀
本浮世絵中の羽柴秀吉が佩く「太刀」(たち)は、「飾太刀」(かざりたち)もしくは「細太刀」(ほそだち)と呼ばれる、儀礼用の刀剣です。奈良時代の貴族が用いた「唐太刀」(からだち)の様式を受け継ぎますが、実用品でないため、真剣の代わりに鉄の延べ板や竹刀を収めたものも少なくありません。