- 行列浮世絵
うたがわひろしげ さく「よりともこうぎょうれつのず」 歌川広重(三代) 作「頼朝公行烈之図」 /ホームメイト

本行列浮世絵は、江戸幕府14代将軍「徳川家茂」(とくがわいえもち)の軍勢が行進する様子を描いたと考えられる作品です。題名には鎌倉幕府初代将軍「源頼朝」(みなもとのよりとも)の名が付いていますが、これは戦国時代から江戸時代当時にかけての事件や人物を直接浮世絵に表すことが江戸幕府に規制されていたために行われた工夫です。
幕末動乱のさなか、徳川家茂は200年以上行われなかった将軍の上洛を挙行。最初は1863年(文久3年)に「孝明天皇」(こうめいてんのう)へ攘夷(じょうい:外国勢力を排除すること)の約束をするため、2度目と3度目はそれぞれ1864年(元治元年)と1866年(慶応2年)の第一次・第二次「長州征伐」(ちょうしゅうせいばつ)による出陣でした。そのうち最初と最後の上洛では陸路を通ったため、浮世絵に格好の題材として多く描かれたのです。
本行列浮世絵には西洋式銃を担いだ武士が多くみられ、第二次長州征伐時の江戸幕府軍を描いたとみられます。一方で大将は甲冑(鎧兜)をまとい、軍服に陣羽織を重ね着して流れ旗を掲げるなど、和洋混交の軍装が印象的。また、行列前方でラッパや太鼓を鳴らす一団は軍楽隊の始まりです。
作者の三代「歌川広重」(うたがわひろしげ)は、初代「歌川広重」のもとで浮世絵を修行し、のちに三代目を襲名した人物。明治時代以降は近代化する当時の世相を、舶来の赤い合成染料を用いた「赤絵」として描きました。
■コラム 突兵拵
幕末に広まった西洋式の軍制に合わせて、日本刀の拵も「突兵拵」(とっぺいごしらえ)と呼ばれる新たな様式が考案されました。鞘の鐺(こじり)は先が尖る他、腰に差すだけでなく帯で吊り下げることもできるのが大きな特徴です。