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つきおかよしとし さく「かごしまぼうとしゅつじんず」 月岡芳年 作「鹿児島暴徒出陣図」 /ホームメイト

明治政府に対して不満を募らせていた薩摩(現在の鹿児島県)士族は、「西郷隆盛」を指導者として集結。薩摩軍として、1877年(明治10年)2月、政府軍が拠点としている「熊本城」へ向け進軍を開始し、「西南戦争」の火蓋が切って落とされます。
途中、50年来の大雪に見舞われた「三太郎峠」越えに挑みました。「三太郎峠」とは、現在の熊本県南部、八代市と水俣市の間にある「赤松太郎峠」、「佐敷太郎峠」(さしきたろうとうげ)、「津奈木太郎峠」(つなぎたろうとうげ)の総称です。旧鹿児島街道の難所として知られ、薩摩軍の峠越えでも、極寒の強行軍により凍死者も出たと言われています。
作者の「月岡芳年」(つきおかよしとし)は、この浮世絵の中に隆盛をはじめ、「篠原国幹」(しのはらくにもと)や「村田新八」(むらたしんぱち)など、薩摩軍の主要な人物を描きました。