- 戦争絵
- 戦争絵とは
つきおかよしとし さく「とうえいざんもんじゅろうやきうちのず」 月岡芳年 作「東叡山文殊樓焼討之図」 /ホームメイト

本戦争浮世絵の画題は、旧幕府軍と明治新政府軍が対立した一連の戦いである「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)です。旧幕臣達によって結成された「彰義隊」(しょうぎたい:旧幕臣。「徳川慶喜」の護衛部隊)が、江戸無血開城を不服として、1868年(慶応4年/明治元年)5月15日、「東叡山寛永寺」(とうえいざんかんえいじ:現在の東京都台東区)に立て籠もった、いわゆる「上野戦争」の様子が描かれています。
同戦争における両軍の軍勢は、彰義隊が4,000人ほどであったのに対し、薩摩藩(現在の鹿児島県)と長州藩(現在の山口県)、そして佐賀藩(現在の佐賀県)の連合軍は約10,000人。本戦争浮世絵では、降りしきる雨と炎を厭わず、刀剣や槍を交えて、激戦を繰り広げていたことが窺えます。赤い建造物は、寛永寺の山門であった「文殊楼」(もんじゅろう)。彰義隊の壊滅と共に、この文殊楼も焼失しました。
本戦争浮世絵を描いた「月岡芳年」(つきおかよしとし)は、12歳頃に「歌川国芳」(うたがわくによし)の門下に入った明治時代を代表する浮世絵師。「無残絵」を得意としたことから「血まみれ芳年」との異名を取っていました。「水野年方」(みずのとしかた)を始めとする、優秀な弟子達を世に送り出しています。