- 戦争絵
- 戦争絵とは
みずのとしかた さく「ちんちょんちほうにごめいのにほんこうへい
しんへいひゃくよにんをげきたいす」
水野年方 作「鎮川地方ニ五名ノ日本工兵
清兵百餘人ヲ撃退ク」 /ホームメイト

本戦争浮世絵は、朝鮮半島において「東学」を信奉する農民(東学党)が、朝鮮政府や日本に対して暴動を起こした「東学の乱」(とうがくのらん)が描かれており、旧日本陸軍が、100余名の兵をもって農民軍を圧倒した場面を切り取っています。
1894年(明治27年)に起きた東学の乱は、別名「甲午農民戦争」(こうごのうみんせんそう)とも言い、朝鮮政府に対し、東学を信奉する農民が減税や排日を要求するために起こした内乱です。東学の乱は、清国と日本が軍隊を送ったことにより、朝鮮政府と農民軍が和解し、内乱は収束します。ここで日本は、今後も清国と共に朝鮮の内政改革を進めようと提案したものの、清国はこれを拒否。このときの交渉決裂を契機に、朝鮮の支配権をめぐる「日清戦争」へ発展していくこととなります。
本戦争浮世絵を描いた「水野年方」(みずのとしかた)は、「月岡芳年」(つきおかよしとし)の門人で、明治時代に活躍した浮世絵師であり、日本画家でもあった人物です。美人画や風俗画を多く手掛け、穏やかで気品ある風俗画を描いた一方で、歴史人物画家としても腕を振るいました。