- 妖怪浮世絵
つきおかよしとし さく「わかんひゃくものがたり ていしんこう」 月岡芳年 作「和漢百物語 貞信公」 /ホームメイト

本武将浮世絵に描かれているのは、「大鏡」第二巻「太政大臣忠平貞信公」の場面です。「貞信公」は平安時代中期の公卿・藤原忠平(ふじわらのただひら)のこと。「小倉山峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ」という百人一首の歌が知られています。
ある夜、貞信公が紫宸殿(ししんでん:天皇の居住する内裏の南側の建物のこと。南殿とも)の御帳台(みちょうだい:平安時代に貴族の寝所として室内に置かれた調度のこと)を通りかけたところ、突然、御簾(みす)の合間から太刀の石突(いしづき)を掴まれます。見るとそれは鬼でした。毛むくじゃらで爪は刃のように伸びています。しかし、貞信公が冷静を装い、「なにものぞ」と言いながら太刀を引き抜き鬼の手を捕らえると、鬼は動揺して手を放し丑寅(うしとら:東北の方角)へ逃げ失せました。
本武将浮世絵の作者は、月岡芳年(つきおかよしとし)。明治時代を代表する浮世絵師です。歌川国芳(うたがわくによし)の門弟で、15歳の時に武者絵を発表しています。歴史画、美人画、妖怪画、新聞錦絵など様々なジャンルで多数の傑作を描きました。
■コラム
反りのある鎬造り(しのぎづくり)の日本刀が現れたのは、貞信公が活躍した平安時代中期。
鬼を切ったと言えば国宝「童子切安綱」が有名ですが、その作者であり「刀工の祖」とされている伯耆国(ほうきのくに:現在の鳥取県)の安綱(やすつな)が活躍したのもこの時代です。
