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みずのとしかた さく「きょうどうりっしのもとい にじゅういち くすのきまさしげ」 水野年方 作「教導立志基 21 楠正成」 /ホームメイト

本武将浮世絵は、1332年(元弘2年)に「楠木正成」(くすのきまさしげ)が「四天王寺」(大阪府大阪市)を参拝し「聖徳太子」(しょうとくたいし)の記した「日本一州未来記」(にほんいっしゅうみらいき:聖徳太子著と伝わる預言書)を見せてもらう「太平記」の逸話を画題としています。
楠木正成は、「足利尊氏」(あしかがたかうじ)と共に「後醍醐天皇」(ごだいごてんのう)に仕え、鎌倉幕府を相手に「赤坂城の戦い」(あかさかじょうのたたかい)や「千早城の戦い」(ちはやじょうのたたかい)などで、討幕に貢献した武将です。楠木正成は日本一州未来記を読み、主君である後醍醐天皇が鎌倉幕府を打ち倒すのだと受け取り、勇気を奮い立たせたと伝わります。そして翌年となる1333年(元弘3年/正慶2年)、後醍醐天皇は見事、鎌倉幕府を倒し悲願を成就させました。
本武将浮世絵の作者「水野年方」(みずのとしかた)は、「月岡芳年」(つきおかよしとし)に師事し、明治時代に活躍した浮世絵師です。明治時代初期は武者絵や美人画などの浮世絵を手掛け、明治時代後期になると小説挿絵や、雑誌の口絵へと活動の場を広げるようになります。さらに水野年方は歴史人物画家としても多くの賞を取り、浮世絵師が庶民の娯楽から、芸術家へと変わっていく基礎を作り上げました。
■足利尊氏と二つ銘則宗
足利尊氏は後醍醐天皇に仕えていましたが、のちに後醍醐天皇に反旗を翻し、室町幕府を樹立させる武将です。足利尊氏の愛刀だったと伝わるのが太刀「二つ銘則宗」(ふたつめいのりむね)になります。二つ銘則宗は、足利尊氏のもとから13代将軍「足利義輝」(あしかがよしてる)、「豊臣秀吉」と多くの手に渡りました。そして現在は「愛宕神社」(京都府京都市)が所蔵し、「京都国立博物館」(京都府京都市)に寄託されています。
