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つきおかよしとし さく「あづまのはなうきよこうだん さとうまさきよ」 月岡芳年 作「東錦浮世稿談 佐藤正清」 /ホームメイト

本武将浮世絵は、「賤ヶ岳の七本槍」のひとり「加藤清正」(かとうきよまさ)を描いた絵図。
碁を打っているのは、明軍の「麻貴」(まき)将軍。そして左側から布をまくり、中にいる人物を見ているのが加藤清正です。1597年~1598年(慶長2年~慶長3年)の「慶長の役」における「蔚山城の戦い」(いさん[うるさん]じょうのたたかい)の様子を碁の対局で描いており、日本が朝鮮軍に勝利できたのは、加藤清正の助言があったからと言うことを表しています。
なお、名前が「佐藤正清」と変えられていますが、これは江戸幕府による出版統制令を避けるための工夫です。羽織っている衣服に加藤清正の家紋「桔梗紋」と「蛇の目紋」が入っていることから、加藤清正と分かるようになっています。
加藤清正は、築城の名手でした。熊本県熊本市の「熊本城」を築城したのが加藤清正であることから、現在でも熊本市民からは「清正公」(せいしょこ)さんと呼ばれ親しまれています。
本武将浮世絵の作者は「月岡芳年」(つきおかよしとし)。21歳から浮世絵師として活動をはじめて、54歳で病没するまでの33年間に制作した作品数は、1万点にものぼると言われています。浮世絵以外に雑誌や新聞の挿絵を手掛けており、「葛飾北斎」や3代目「歌川国貞」と並ぶほど多くの作品を残しました。
