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つきおかよしとし さく「あずまのはなうきよこうだん かじわらげんたかげすえ ささきしろうたかつな」 月岡芳年 作「東錦浮世稿談 梶原源太景季 佐々木四郎高綱」 /ホームメイト

本武将浮世絵は、1184年(永寿3年)1月に起こった「宇治川の戦い」の1場面を描いています。
戦の前に「梶原景季」(かじわらかげすえ)は、主君である「源頼朝」(みなもとのよりとも)に、名馬・生食(いけづき:馬の名)を所望しますが聞き入れられず、代わりに黒い毛並みの磨墨(するすみ)を賜りました。
ところが源頼朝は、従兄弟で家臣でもある「佐々木高綱」(ささきたかつな)に生食を与えてしまいます。佐々木高綱が生食に乗っていることを知った梶原景季は、名誉を傷つけられたと考え、佐々木高綱に敵愾心(てきがいしん)を抱きますが、佐々木高綱は機転を利かせて「馬は賜ったのではなく、盗んだのだ」と言い、梶原景季の笑いを誘いました。
その後、宇治川を挟んで敵に対峙したとき、先に川へ乗り入れようとした梶原景季に対して、佐々木高綱が「馬の腹帯が緩んでいる。締め給え」と助言。梶原景季が腹帯を締め直している隙に、佐々木高綱は先に川を進んでしまうのです。だまされたと気付いた梶原景季も急いで川に入り、激しく先陣争いを演じますが、一歩早く佐々木高綱が対岸へ上陸し、一番乗りを果たしたのでした。
制作者の「月岡芳年」(つきおかよしとし)は、本武将浮世絵の奥側に馬の上半身のみが見える構図で佐々木高綱を配置し、手前側へ黒馬に乗った梶原景季を大きく描くことで、目の前にいるような臨場感を表現しています。
