- 合戦浮世絵
- 合戦絵とは
おちあいよしいく さく「きんせいはちせんそう うえのやました」 落合芳幾 作「近世八戦争 上野山下」 /ホームメイト

本合戦浮世絵は、戊辰戦争(ぼしんせんそう)の戦いのひとつ、上野戦争(うえのせんそう)が描かれています。
戊辰戦争は大政奉還(たいせいほうかん)・王政復古の大号令ののち、依然として権力を持つ旧幕府軍と、薩摩藩(さつまはん)・長州藩(ちょうしゅうはん)・土佐藩(とさはん)を中心とした新政府軍が衝突した内乱です。
1868年(慶応4年)5月15日、勝海舟(かつかいしゅう)と西郷隆盛(さいごうたかもり)の交渉により、江戸城は無血開城します。上野(現在の東京都台東区上野)の寛永寺(かんえいじ)に謹慎していた最後の将軍・徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は水戸へ移りますが、彰義隊(しょうぎたい:旧幕臣。徳川慶喜の護衛部隊)は寛永寺を拠点に江戸に残り、新政府との対立を深めていきました。
同年7月4日、大村益次郎(おおむらますじろう)率いる新政府軍は、ついに彰義隊に宣戦布告します。砲撃戦は約半日で決着がつき、彰義隊はほぼ全滅したのです。本戦争絵ではその時の様子が表現されており、甲冑帯刀姿で戦う彰義隊員の決死な様子が見られます。
上野公園には、後年建てられた彰義隊の墓や寛永寺周辺のアームストロング砲弾痕など、戦争の爪痕が現在も残されているのです。
本合戦浮世絵は落合芳幾(おちあいよしいく)による作品。幕末から明治時代にかけて活躍した浮世絵師です。歌川国芳(うたがわくによし)の門人で、兄弟弟子の月岡芳年(つきおかよしとし)と血みどろ絵を共作して評判になりました。新聞報道画の魁(さきがけ)となったと言われており、明治時代の代表的な浮世絵師の1人です。
