- 妖怪浮世絵
つきおかよしとし さく「しんけいさんじゅうろっかいせん なすのがはらせっしょうせきのず」 月岡芳年 作「新形三十六怪撰 那須野原殺生石之図」 /ホームメイト

本妖怪浮世絵は、絶世の美女に姿を変え人々を騙した平安時代末期の九尾の狐「玉藻前」(たまものまえ)を描いています。
玉藻前は「鳥羽上皇」(とばじょうこう)にかけた呪いを陰陽師に暴かれたため、宮中から逃走。下野国那須(現在の栃木県那須市)周辺で朝廷軍に討たれ、石に姿を変えました。しかしその石は毒を発生させたため、のちに「殺生石」と呼ばれるようになります。
1385年(至徳2年)に「玄翁和尚」(げんのうおしょう)によって殺生石は砕かれましたが、そのかけらが全国に飛散。このことから「化生寺」(岡山県真庭市)や「常在院」(福島県白河市)など、日本各地に殺生石にまつわる伝説が残されているのです。
本妖怪浮世絵は、殺生石に姿を変えた100年後にそこから亡霊として現れた玉藻前を描いています。
作者の「月岡芳年」(つきおかよしとし)は、人気絵師「歌川国芳」(うたがわくによし)を師に持つ浮世絵師です。12歳に入門し、歴史画や武者絵、美人画などを手掛けました。そののち1866年(慶応2年)、月岡芳年は兄弟子「落合芳幾」(おちあいよしいく)と、歌舞伎の無惨な場面を描いた「英名二十八衆句」(えいめいにじゅうはっしゅうく)で競作し人気を呼びました。
■妖怪コラム 殺生石の謎
殺生石のあった栃木県那須市は古くより温泉地として知られる名所でした。そのため付近一帯は、火山性の有毒ガスが噴出し溶岩などが点在していた地域。殺生石の言い伝えは、こうした自然現象がもたらしたものと推測されます。
