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みずのとしかた さく「きょうどうりっしのもとい たかすぎしんさく」 水野年方 作「教導立志基 高杉晋作」 /ホームメイト

本武将浮世絵に描かれているのは、江戸時代後期の長州藩(現在の山口県)の藩士であった「高杉晋作」の旅姿。高杉晋作は、天皇を尊び、外敵を退けるという思想である「尊皇攘夷」(そんのうじょうい)派の志士として、幕末に活躍しました。
1864年(元治元年)、長州藩の藩士達が京都へ進軍し、御所周辺で会津藩(現在の福島県)や薩摩藩(現在の鹿児島県)などの藩兵達から成る、江戸幕府軍と衝突した「禁門の変」で敗退。
その後、長州藩の保守派であり、藩政の主導権を握った「椋梨藤太」(むくなしとうた)派が、尊皇攘夷派であった「周布政之助」(すふまさのすけ)派の藩士達を次々と処罰していきます。これを恐れた高杉晋作は、長州から脱走して筑前国(現在の福岡県西部)へ亡命。
本武将浮世絵では、このときの高杉晋作が「平尾山荘」(現在の福岡市中央区)を訪れ、「野村望東尼」(のむらぼうとうに)のもとに匿ってもらおうとしている場面を描いています。
本武将浮世絵を手掛けた「水野年方」(みずのとしかた)は、14歳で「月岡芳年」(つきおかよしとし)に師事した明治時代の浮世絵師。「やまと新聞」などの新聞の挿絵でその名を上げ、月岡芳年以降の浮世絵に、新風を吹き込みました。
本武将浮世絵は、1883~1889年(明治16~22年)にかけて発刊された、歴史的教訓絵シリーズ「教導立志基」(きょうどうりっしのもとい)に含まれる作品。 同シリーズでは水野年方以外も、その師である月岡芳年や「小林清親」(こばやしきよちか)、「井上探景」(いのうえたんけい)など、明治時代を代表する浮世絵師達が、制作者としてその名を連ねています。
