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浮世絵師「歌川豊宣」の生涯
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「歌川豊宣」(うたがわとよのぶ)は、祖父が「3代 歌川豊国」(さんだい うたがわとよくに:初代 歌川国貞[うたがわくにさだ]と同一人物)、父が「2代 歌川国久」(にだい うたがわくにひさ)という、一流浮世絵師の家に生まれた人物です。しかし、22歳でデビューしたあと、早くも28歳で亡くなり、活動期間はたったの6年間でした。短いながらも数多くの傑作を遺した、歌川豊宣の生涯と代表的な浮世絵について、詳しくご紹介します。

歌川豊宣の生涯

作画はたったの6年間

歌川豊宣

歌川豊宣

「歌川豊宣」は、1859年(安政6年)生まれ。本名は、勝田金太郎です。父は「2代 歌川国久」、母は歌川派の総帥「3代 歌川豊国」の四女「お栄」。また、2歳下の弟も「歌川国峰」(うたがわくにみね)で浮世絵師です。歌川豊宣は、そんな一流浮世絵師の家系に育ちました。

しかし、祖父・3代 歌川豊国は、1865年(元治2年/慶応元年)に79歳で死去。歌川豊宣は、まだ6歳だったことから、祖父ではなく、父・歌川国久の師事を仰いだと考えられます。

はじめて歌川豊宣の名前でデビューしたのは、1881年(明治14年)の22歳のとき。その処女作の浮世絵とは、幕末に活躍した人々を紹介した単行本「近世文武名誉百人首」の挿絵です。見開き54ページの丸まる1冊を描き、どの絵も繊細でありながら堂々とした、歌川の名に恥じない素晴らしいタッチでした。

1884年(明治17年)には「第2回・絵画共進会」に「源義仲八幡宮願書之図」を出品して、見事入賞。武者絵役者絵、相撲絵などの錦絵や挿絵の依頼がどんどん入り、一躍売れっ子となるのです。なお、明治政府は、1878年(明治11年)から、西洋の歴史画にならった「正史画」(正しい歴史画)を描かせる方針を採ったため、武者絵を得意とした歌川豊宣は、ちょうど時代の波に乗ったと言えます。

誰もが将来有望な浮世絵師だと期待していましたが、1886年(明治19年)の28歳のときに、突然早世。死因は不明です。

歌川豊宣の作品紹介

歌川豊宣は武者絵を得意としていました。特に、甲冑を着用した武将の絵が多く、色の鮮やかさや(おどし)の縫い目の描き方など、精密さが際立っています。今回は「刀剣ワールド財団」が所蔵する歌川豊宣の浮世絵の中から、武者絵を描いた迫力ある傑作をご紹介します。

歌川豊宣 作「吉野山忠信偽乗図」

吉野山忠信偽乗図」(よしのやまただのぶぎじょうず)は、歌川豊宣が1882年(明治15年)に描いた作品です。

義経四天王のひとり「佐藤忠信」(さとうただのぶ)と、追手で吉野一の荒法師と呼ばれた「横川覚範」(よこかわかくはん)が、お互いに仕留めようとしているところ。しんしんと冷たい雪が降り積もる静けさのなか、2人の緊張感が伝わります。

これは、1185年(文治元年)12月の一場面。のちに鎌倉幕府初代将軍となる「源頼朝」と弟「源義経」(みなもとのよしつね)が不仲となり、源義経は愛妾「静御前」(しずかごぜん)とともに、吉野山の奥地に身を隠すことになりました。忠臣・佐藤忠信は自らが囮(おとり)となって、主君・源義経を逃がし、追手に立ち向かったことが伝えられています。そのため、本浮世絵の佐藤忠信は、源義経愛用の甲冑「赤糸縅胴丸鎧」(あかいとおどしどうまるよろい)を着用。鮮やかな赤色が白い雪に映え、縅糸の縫い目も丁寧に描かれ、見事です。

結局、佐藤忠信は横川覚範を討ち、現在もこの場所には横川覚範の首塚が建てられています。また、佐藤忠信は翌年の1186年(文治2年)、京都で「糟屋有季」(かすやありすえ)に襲われて自害。源義経は吉野から伊勢国(現在の三重県)、美濃国(現在の岐阜県)を経て奥州平泉(現在の岩手県)に向かいますが、1189年(文治5年)に奥州平泉で非業の死を遂げたのです。

歌川豊宣 作「新撰太閤記 秀吉」

「新撰太閤記」(しんせんたいこうき)は、歌川豊宣が1883年(明治16年)に発表した全50枚にも及ぶシリーズ絵で、「新撰太閤記 秀吉」は、この中の1枚です。

これは、1582年(天正10年)「本能寺の変」が起き、主君「織田信長」が「明智光秀」に討たれたことを知ったあとの豊臣秀吉の様子。豊臣秀吉は織田信長の命で、毛利輝元の勢力圏である中国地方(現在の鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県)を攻める「中国征伐」を行っていましたが、織田信長の訃報を知ると、敵・毛利氏と和睦。明智光秀を討つために、すぐに中国から引き上げる、「中国大返し」を行いました。そして「山崎の戦い」で明智光秀を討ち取ったのです。

本浮世絵は、豊臣秀吉が単身で白馬に跨り、一目散に走り出そうとしているところ。白馬と一体となった豊臣秀吉の躍動感が見事です。豊臣秀吉は鬼気迫る表情。涙を思わせるような水色の「鎧直垂」(よろいひたたれ)を身に纏い、暗闇のなか激しく雨が降っている描写も秀逸です。

歌川豊宣 作「俱利伽羅谷大合戦図」

俱利伽羅谷大合戦図」(くりからだにだいかっせんず)は、歌川豊宣が1884年(明治17年)に描いた作品です。

画面中央の女武者「巴御前」(ともえごぜん)が平氏残党「武蔵三郎」(むさしさぶろう)に対して、薙刀(なぎなた)を交えているところ。後ろには巴御前を愛妾とした「木曽義仲」(源義仲)一行の姿が見えます。

これは、1183年(寿永2年)の「俱利伽羅峠の戦い」(くりからとうげのたたかい)を描いた1枚です。1180年(治承4年)「以仁王」(もちひとおう)が平氏打倒の兵を挙げ、木曽義仲や源頼朝など各地の武士団がこれに応じました。木曽義仲は、俱利伽羅峠の戦いで「平維盛」(たいらのこれもり)率いる平氏100,000兵を、倶利伽羅谷(現在の富山県と石川県の境にある谷)へと落として殺し、巴御前が武蔵三郎を討ち取ったという武勇が伝えられています。

女武者と恐れられた巴御前ですが、背景には桜のような桃色の花が描かれ、鎧直垂にも赤い花が可愛らしくあしらわれているのが印象的。また草摺(くさずり)の下にも豪華な紫色の毛皮を纏っています。紫色と言えば、「冠位十二階」で最高の身分を表した色。歌川豊宣は、女性の権利を尊重し、女性に対して差別しない、フェミニストの絵師だったと言えるかもしれません。

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