- 甲冑浮世絵
- 武者絵とは
うたがわよしつや さく「かわなかじまだいがっせんくみうちづくし はらはやとのすけ あかぼうずさいほういん」 歌川芳艶 作「川中島大合戦組討尽 原隼人亮 赤坊主西方院」 /ホームメイト

本武将浮世絵は、1857年(安政4年)に発表された「川中島大合戦組討尽」(全12枚)のうちの7枚目。取っ組み合いをしているのは、武田軍の「原隼人亮」(はらはやとのすけ)と「赤坊主西方院」(あかぼうずさいほういん)です。
「原」とは、「原昌胤」(はらまさたね)のこと。武田二十四将のひとりで、譜代家老衆。地理に明るく、戦を有利に行なう地理・守備の術に優れていました。第4次川中島の戦いにも、陣馬奉行として120騎を指揮したと言われています。
一方、赤坊主については、詳細が分かりません。本武将浮世絵を描いた「歌川芳艶」は、「川中島大合戦 越後方二十四性揃」でも赤坊主を描いており、歌川芳艶と同門の「歌川芳員」(うたがわよしかず)も、「上杉二四将」という浮世絵で赤坊主を人物として描いていることくらいです。
この「川中島大合戦組討尽」は史実に基づいた絵ではないことが特徴。原昌胤が「鬼神の子」と呼ばれていたことから、新潟県に伝わる妖怪「西方院赤坊主」をもじって、対抗相手として登場させたのかもしれません。
日本刀を落とした赤坊主が、のけ反りながらも激しく掴みかかっている、迫力のある1枚です。
