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つきおかよしとし さく「よしとしむしゃぶるい そがごろうときむね・ごどころごろうまる」 月岡芳年 作「芳年武者无類 曽我五郎時宗・五所五郎丸」 /ホームメイト

本武将浮世絵(武者絵)の主題となっているのは、1193年(建久4年)に起きた、「曽我兄弟の仇討ち」(そがきょうだいのあだうち)として知られる事件。
この事件は、時の将軍「源頼朝」(みなもとのよりとも)が、大勢の御家人達を富士山の裾野に集めて狩猟を行なった「富士の巻狩り」の際に勃発。伊豆国(いずのくに:現在の静岡県伊豆半島、及び東京都伊豆諸島)の武士であった兄の「曽我十郎祐成」(そがじゅうろうすけなり)と、弟「曽我五郎時致(時宗)」(そがごろうときむね)が、実父「河津祐泰」(かわづすけやす)を殺害した同族であり、源頼朝の御家人でもあった「工藤祐経」(くどうすけつね)を襲撃したのです。
兄弟で父の仇を討ち果たした同事件は、「赤穂浪士(あこうろうし)の討入り」、「伊賀越え(いがごえ)の仇討ち」と共に「日本三大仇討ち」のひとつに数えられ、「曽我物」(そがもの)として、歌舞伎や人形浄瑠璃などにおける演目の題材となり、民衆から高い人気を博しました。
本武将浮世絵(武者絵)で描写されているのは、仇討ちを成功させたあとの曽我五郎時致が、源頼朝の寝間に向かおうとしている場面。控えていた小舎人(こどねり:鎌倉幕府の政治機関である侍所にて、雑用などを担っていた者)の「五所(御所)五郎丸」(ごしょごろうまる)が、曽我五郎時致の背後から腰をがっちりと掴み、その行く手を遮ろうとしています。
そのあと、曽我五郎時致は捕えられて処刑され、20歳の若さでその生涯を終えたのです。 本武将浮世絵(武者絵)を手掛けた「月岡芳年」(つきおかよしとし)は、「血まみれ芳年」の異名を取るほどに、「無惨絵」の名人としてその名を馳せていた浮世絵師。
本武将浮世絵(武者絵)では、無惨絵に観られる残忍な表現は用いられておらず、御所五郎丸の涼しげながらも強い意志が表れている目や、曽我五郎時致の腰回りにしっかりと組まれた手などから、静かな迫力が感じられる作品です。
